すっごく頭がぼうっとする。昨日は徹夜でバレンタインのチョコを作っていた。正直に言えば寝ていないし身体もだるいしベッドにそのままダイブしたい気分だけどまだ、ラッピングをまだしていない。こんなことなら前もって無塩バターを買っておくんだった。昨日お店を駆けずり回ってやっと手に入れた小さな箱には塩を使っていないバターが銀の包み紙にキレイに包まれて入ってた。でも手に入れたのが遅かったので作り始める時間も遅くなって結局朝になってしまったのだ
中学くらいのときだったか。同じクラスの男子にこれまた徹夜で作ったチョコを渡したのだがそのときは笑顔で礼の言葉を述べられて受け取ってもらえたので嬉しくて舞い上がってしまい、その日の帰路は足取り軽いものになっていたのだがその途中で渡した人が友人にチョコをあげているのをバッチリ見た。もう、それはバッチリと。うまいじゃんコレ誰の。ああそれ?うちのクラスのだよ。マジかよアイツこんなに料理旨いんだなお前も食えばいいのに。いやだよなんでなんかが作ったもの食わなきゃいけねんだよ
それからパッタリと男性にチョコを贈るという習慣はわたしの中で絶えた。二度と男になんかやるもんかって思ってそれから今のいままで男と名のつく性別の人間に物を贈ることさえしなくなった。だけどそれも彼らに、あの人に逢ってから変わってしまう。彼らのようにわたしを裏切らないと確信できるほど信用できたのはあの人達だけ。あの人のようにあんなにも優しくて一途な人をわたしは知らない。スクアーロなんかどこが優しいのか分からないっていうし俺にしとけよって冗談も言ってくるけどわたしはやっぱりあの人が好きなのだ。あの男ならあのとき、わたしの汗と涙の結晶であるチョコに対して無粋な真似はしないだろう
休憩室の扉を開ける。そこには本命の人以外、椅子に座りながら自分の好きなことをしていた。扉の前に立ってはいっと大きく、荷物を持っていない方の手で挙手してみれば全員がこちらを向いた
「はーい、みんな今日はなんの日でしょう?」
「う゛おぉい、今日は何の日だっけか・・・?」
「んまあ!スクアーロったら今日は待ちに待ったバレンタインよお」
ルッスーリアがオホホホと甲高く笑ってスクアーロはああ、と納得したような顔をする。指定席と化した黒のチェアにふんぞり返りながらベルがにんまりと笑って「なに、くれんの」と言えばレヴィが自分のことをしきりに指で指しながら主張してくる。勿論、愛らしいマーモンもじっとわたしの方を見てくるのでにっこりと笑って見せた
「うん。みんなに作ってきたよ、はいコレ」
この間、ルッスーリアと買い物をしたときに購入した上着を入れるためにもらった黒の袋に詰めた幾つかのチョコをはい、と手渡していく。一番最初に渡したのは、スクアーロだった。渡すときにかすかに指先が触れ合ってしまう(スクアーロはすぐに目線を外した)全員に配り終えてからみんなとラッピングが違う箱を袋にぽつんと残してその場を去る。背後でベルが「ホワイトデーには俺をあげちゃうからねー」なんて言ってるのが聞こえて思わず笑ってしまう(この人達なら、捨てたり他の人にあげたりしないだろう)
廊下をぱたぱたと走ってあの男がいる元へと向かおうと思っていたがバッタリと、眉間に皺を寄せた本人に出くわしてしまう。明らかに機嫌の悪いときの顔で走っていたわたしはぴしりと固まってしまう。どうしよう、いまを逃したら今日はずっとわたしあの人にチョコを渡せないまんまだ。夜になっても臆病なわたしはまだだ、まだだ・・・と先延ばしにして逃げることだろう。そんなのはいやだ
「あの・・・ボス・・・!」
目の前を通り過ぎるか過ぎないところで呼び止める。赤い両眼はしっかりとわたしを捉えてきた。びくり、肩が跳ねる(いつもはこんなことないのにわたし、ホントに恋する乙女みたいだなあ)
「なんか用か」
短い言葉にはいつもの優しさがあまりに希薄になっているのが読み取れる。あったかい眼差しがなんでか今は怒りを交えていてその理由を知るために訊ねる。もっと他にしなきゃいけないこと、あるのに。わたしったらホント、なにやってんだろ
「なんだか機嫌が悪いみたいですけどなにか、あったんですか」
「・・・部屋に大量のチョコが届けられててな・・・頭が痛くなる」
はあ、吐き出されたため息はわたしの気持ちも憂鬱にするにはばっちりだ。だって他の人からもチョコをもらっているだなんて。なんで考えつかなかったのだろうか冷静に考えればいくらでも予測できたのに。ザンザスくらいの男ならばそこらの令嬢が黙って逃しておく筈がない。きっと、ブランド物だとかすっごく料理が上手な人が作ったものがたくさんあるだろう。それなのに、それなのに。そこらの店で買った材料、そこらの書店で買った本で作ったわたしなんかのチョコがどうしてこの男に食べてもらえるというのだろう。これではあのときと過程は違えど結果は同じだ。食べてもらえない。本当に、なんで思いつかなかったんだろう。また、徹夜した意味なかったなあ。みんなにあげられただけで十分としようかな
「こそ手に持っているそれはなんだ」
それ、と指差されたのはチョコの入った黒い袋で。いまさら「これはボスにあげようと思っていたものなんですよ!」なんて言えるわけがない。口が裂けても、言えない。処理に困る甘い菓子の山の一部になってしまうのはあまりに忍びない
「いや・・・これは!な、なんでもないんですよアハハハ・・・」
「・・・そうか」
それだけ言ってザンザスはわたしの隣を過ぎてしまった。その、一言を発するときの彼の瞳には先程までの怒りは身を潜めて何かわからないけど、色で例えればどんよりとしたブルーが混じっていた。それを汚いわたしは自分のいいように解釈して。果てには無駄なチャレンジャー精神が頭を擡げて。どこまでも愚かだなあわたしったら。でも昨日、あれほど頑張って作ったんだ。どうせなら渡してスッキリしてしまいたい。さらばチョコよ。お前が他の人に渡されようがゴミ箱に入れられようが知ったことじゃないとは言わないよ。ただ、わたしのために散ってくれ!
「あの、ボスっ!」
振り向いたときにしゃらりと羽が音をたてる。なんてかっこよくて、気品のある人なんだろう。いつも困っていればそれとなく手を貸してくれるし言動も優しい。こんなにも人を好きになったのは初めてだ。この人になら、頑張って作ったコレもなにをされてもいいやとまではいかないけれどちょっとの賭けに出てもいいかなと思わせるものは充分にある
「その・・・コレ。わたしが作ったんですけど・・・高級品じゃないし味もおいしくないかもしれないけど・・・・・頑張って作りました」
渡したのは白い箱に赤いリボンが結ばれた箱だ(ルビー色の瞳と同じ色を探すのにも手間取った)手が緊張のあまりにちょっと震えている。ここまで緊張するのは殺しのときでも、あの無粋な男に渡したときでもありえないことで。どのくらいこの人が好きかわかってしまう
「・・・、さっき俺の話を聞いてなかったのか。俺はこの類の物の処理に頭を痛めているんだ」
「・・・ですよね!いやちょっとした冗談ですよアハハハハ」
「でもお前からの物なら喜んで食べる」
は?いまなんと仰いましたか。ぴたっと笑うのをやめて硬直するわたしの唇にそっと、軽くだったけどわたしの心臓と同じくらい熱を帯びた唇が触れてもう、頭の中はクラッシュ状態!不適に笑いながらその場を去っていく黒い背中をぼうっとする頭で見送った
これは眠気のせいなんかじゃないですね、あなたのせいです!