金の細工を施してある椅子に背を預けて目を瞑る。部屋はしん、物音一つしないので俺のこころは満たされる。雑音が多すぎるこの世界にて自分の部屋が隔離されている気分に浸るのは至極、幸福なことに思える
が、その幸福を破る者がいた。蔦を象徴して彫られた金細工が少し見られる扉を開ける音。煩い権力争いから遠ざかったと思えば今度は訪問者か。眉間に皺が自然とよるのは仕方のないことだろう
最近では王の世継ぎが誰になるかということで城内はその話題ばかり。さらに王の子息である自分がそれになる確率が一番、高いということで突然に周囲の人間どもは態度を変えた。前まではなんと愛想のない男だろう、だとか冷血漢と言って回った者達が自分を囲んで安い笑顔を貼りつかせ、品のない諂いを見せるのだ。かと思えば影で俺を殺害してどうにか親類、または側近の自分がと計画を練っているのだ。王はまだ健在だというのに頭痛すら覚える
この間など血筋にある超直感で食事に違和感を覚え、給仕の女にそれを一口与えればそれは最初一つ頭を下げて「おいしゅうございます」と笑った。夜会に見る笑顔よりも記憶に残る純粋な裏のない笑顔だった。それから食事にはやはり手をつけずに自分の隣に座らせているとそいつはだんだんと顔を青くして終いには清潔なクロスの上に頭から倒れた。痙攣するそれを見てやはり、と納得してから女を一瞥すればひくりと口元を歪ませて涙をつうと流す。声を出そうと口をまな板に乗せられた魚のようにパクパクとさせてそれがどうして、おもしろいのでテーブルに肘をつきながら女を見据えて「医者を」と静かに他の給仕へ指示をする。血相を変えた給仕はバタバタと走っていき部屋には俺と空前の灯火のような命の女が残された。ぽろぽろと涙を流しながら必死に口を動かすがひゅうひゅうと息が出るばかりでなにも言えないし言葉にならない。だんだんと痙攣が激しくなり瞳には精気がなくなってきた。バンと勢いよく扉が開いて女は医者の手に渡った。女はテーブルに肘をつきながらその様をぼんやりと見ている俺をどんよりと、濁ってきた両の目でしっかりと捉えていて少し、気持ちが悪いと思った
静かな空間で厭なことまで思い出したところで訪問者の方に首を向ければ丁度さきほどまで見ていた透明のガラス窓に塗られた黒と同じ色のローブで全身を覆った、男だか女だかわからないのがそこにいた。顔も見えないし明らかに怪しい風体だがそれよりもまず、超直感が告げている。なにを告げているのか分からないのがとても残念だ。どういう意味なのだこの焦燥感は
「ザンザスさま、ザンザスさま」
声を聞いた分にはその高さから女だろうと推測できるがそれだけではなんとも言えない。だがその中にはどんよりとしたモノが含まれている。それに喋る際にひゅっと息を切らす音がするのだ。こんな怪しい奴が城内に入り込めるのだろうか。それとも俺を暗殺にでも来たのか(それにしては悠長だ。扉を開けた瞬間に刃物でも投げればいい)
「我が愛すべきザンザスさまに贈り物をお持ちしました」
ローブの下でにやりと、紫色の唇が歪むのを見て背中にぞっとなにかが滑り落ちた。何故だか落ち着かないしこの、目の前の者が早く視界から消えて欲しくてたまらない。ゆったりとくつろいでいたのにいまでは手にじっとりとした汗が浮かんでいる
「さあ、どうぞお納め下さい」
ひゅっと音を吐き出しながら黒で固めたそれの手がにゅっと出てくる。その手は血が通っているとはお世辞にも言えないほど白かった。くっきりと浮かび上がっている骨は俺のものと同じで硬そうだ。静脈だろうか、緑色の血管がはっきりとどこを通っているか分かるぐらいに浮かび上がっている。だが決して皮膚は荒れていなかった。むしろ、手入れされているのがわかるような綺麗な皮膚である
差し出されたのは銀の、貴族が使っていそうな盆の上にドーム型の蓋が置かれている物だった。蓋の取っ手には豪華な模様が施されていてこの食器だけでも確かに、高価なものであろうことが伺える
「どうしろと」
「開けて下さい。そしてそれはザンザスさまがお気に召したもの。どうか召し上がって下さい」
ぺこりと頭を下げて両手でそれを俺の前に突き出す。椅子に座りながらコレを拒もうかと考えたがこの怪しげな風体の者が一体なにを運んできたのか気にならないと言えば嘘になる
蓋の取っ手をじわりと汗が浮かぶ手で恐る恐る(悟られぬよう)掴んでそれほど重さを感じさせないそれを上にひょいと持ち上げて中身が見えるか見えないかのところで黒のローブに身を包んだ者は一つ、ぼそりと言う
「銀食器が青酸カリ等の毒物に反応するのでザンザスさまの身を護る手立てとなりましょう」
たしかにそれだけ小さいながらも明瞭なる声でそう告げれば蓋は既に上げきってしまった後である(現在俺が使っているのは銀に金が混じった物である)盆の上に堂々と乗せられていたのはあのとき、自分が毒見をさせて殺した給仕の女であった。ただしその女は首から上だけがドンと乗せられている状態であり銀の盆と首とが繋がっている部分からは夥しいほどの血液が流れているのである。俺は盆の上で目を伏せてほろほろと涙を流すそれを見てから目の前にいる黒を見やったがそれはどうして、ふわりと空気にでも溶け込んでしまったようにそこには既に存在していなかった。故に盆は支える手をなくしてガランと音をたて床に転がる。同時に上に乗っていた首もごろんと転がった
どうすることも、どうしていいかも分からずにただ呆然と黒が存在していた場所を実際には数秒間であろうが俺にとっては何時間も見ていたような気がするくらいに見ていた。だがそれは床に転がってにんまりと笑う女がかけてきた言葉によって阻止される
「わたしの名前はと申します。わたしをお気に召したのですか、だからわたしをあのときに呼んだのですかザンザスさま」
その声は自分のもとにこの、おぞましい贈り物を持ってきた黒の声に相違なかった。どんよりとした黒はどろどろと器から零れていき、ただ床にびちゃりと落下してその空間にいる人間を食い殺すような声である(だが先程よりも黒は確実に色濃いものになっている)そしてあの、ひゅっという音。そうか死ぬ間際に話そうとして言葉にならなかったときの、あの音だ
「ザンザスさまザンザスさま。わたし、あなたが好きなんですよ。大好きなんです」
部屋の空気がぴんと張り詰めている。温度も気のせいではないだろう、徐々に下がっているのだ。幸福なあの、静かな空間は一瞬にしてどんよりとして、血生臭い空間へと変貌を遂げた
「だからあなたのお役にたてて死ねたことを嬉しく存じます。ですが死ぬ間際にわたしがどんなに必死で愛を呟いてもそれは言葉にならずにいましたのではっきりと言わせていただきたく思い、あなたにわたしを贈らせていただきました。さあ」
わたしからの愛の言葉、その耳で朽ちても黄泉で聞いていただきます
070208一部改正