空
虚な気分だった。すべてのしがらみから解放されればこんな気分にはならないと思っていたのに。なのにいまでは逆にどこかがなくなってしまった気がしてならない。なくなっては、欠けてはいけない部分が。だがその最も重要な部分を俺は必要としなかった。だからこれでいいんだ。誰も入っていない墓の前に持ってきた血のように赤い薔薇を手向ける。白い中に真っ赤な薔薇はとても目立っていた。そして鮮やかで美しい
どうしてお前はこの棺の中で眠っていてくれないんだ。そうすれば、こんなにも辛い想いをせずにすむというのに(なんと勝手なことだろう)
墓
地に刻まれた名前はよく知っている。自分が心を通わせて愛でた女の名前だからだ。笑っている顔が好きだ。ザンザスと呼ぶときの、自分の名前を呼ぶときの唇が好きだ。ささくれたこころを癒す声が、すきだ
しんしんと音はないが雪は自分が降っていることを存在で示してくる。墓石の上に積もった熱ですぐに消える白を掴んでみたけれど俺の体温ではなかなか、消せない(お前なら消せただろうか)過去は振りかえりたくない。意味がないし俺はひたすらに進んでいかなくてはいけないからだ。だけど墓の前にこうして花を携え足を運んだのだから少しくらい昔の余韻に浸ってもいいだろう?
参
った。幻聴まで聞こえてきたみたいだ。誰もいない筈の、訪れる筈もないこの淋しい場所にたしかに雪を踏みしめる音がする
「ザンザス」
亡霊か。俺の名前を呼ぶ声はそんなに弱々しくて、潤いをなくした音じゃあない。そんなに目は腫らしてないし手は柔らかくてそうだ、とてもあったかいのだ。お前は誰だ。どうしてそんなに嬉しそうな顔でこちらにくる
「会えなくてさみしかった・・・」
泣きそうな顔をしないでくれ。頼むから俺の中にこれ以上、その存在を焼きつけようとするな。どうして蝕んでいくのだお前がそうして笑うと俺がおかしくなるだろう
り
んとした気持ちを持て。たとえこれが幻覚であろうが亡霊だろうが俺は誠意を持って対応しなければならない。それがコイツを閉じ込めた俺の責任であり、義務なのだから。あいつに言うように、返事をしよう
「俺もさみしかったよ」
胸に顔を埋める女はそう、確かにあの頃のあたたかさを持っていた。どうしてあんなことをしたのに、お前がいるとどうしようもなく辛いから白ばかりの部屋に閉じ込めたのに。あんなに必死で逃げ出そうとしていたのはおまえ自身のためではないのか。ふつう、自分を閉じ込めた男のもとにそんな笑顔で笑って来れるだろうか。頭がおかしくなったのか
「ザンザス、ざんざす・・・・・」
名前を呼ぶくちびるが好きだ。こころを和ませる声が好きだ。冷たくなった手をあたためようと握ってくる手が、すきだ
「おやすみ」
墓石に刻まれた名前はお前のものなのに。どうして起きてしまったんだ。お前がいると侵食されていくから、俺が俺で保てなくなるから
だからおやすみ。もう、目覚めないでくれ。そして次に出会うことがあったら俺を殺しにくればいい。お前を殺して自分が助かろうとしたのは俺なんだよ。だから、次があれば俺はお前と一緒にねむろう
首を刎ねられるのが最愛の人だったのから嗤っていれたのです
(雪に眠れ俺のアリス。もう不思議の国で迷わないように気をつけて。さようなら)