あたしの父は母を始めてみたときに、そのおぼろげで儚い姿に魅せられて話しかけた。だが口を開いた母は決して朧なものではなく、この世界に存在していることを父に伝えるには十分な明るい口調だった。そうして時間をかけて恋に落ちた二人の間にはあたしが生まれた。しかし赤子を見て、抱いた瞬間に母はこの世のものとは思えないような美しい笑顔をした。それから、体から淡い緑と黄色の光を幾多も生み出して、父に自分がこの世に未練のあったラルヴァであったことを告げた。ラルヴァ、亡霊である自分は未練がありこの世に留まっていたが愛するあなたとの赤子を抱いてしまったらその未練が消えてしまった、もっとあなたといたいけれどこれも運命でしょう、そう言い残し体は光に包まれ、消えてしまった。父はそんな話をどこか遠い目で、そうして幸せそうにあたしに語った
任務の帰りに目を奪ったのは小さな川だった。橋の下に流れる水はどんよりとしていてお世辞にも綺麗だなんて言えたものではない。そんなものが俺の興味をそそることはまったくもって不可能なのだが、正しく言えば石造りの橋の上に頼りなく並んでいる古臭い街灯の下で、俯きながらぼんやりと立っている女に惹かれたと言った方がいいだろう。決して比喩などではなくぼんやりとその姿さえもおぼろげにして立っているのだ。さあさらさあさらと足元の下で川が音を生み出していた。白髪だろうか、暗い闇夜に浮かび上がる白い髪と同じくらい色素のない肌を殆ど隠してスーツとコートを着ていた。別段、格別きれいだとかそんな容姿の持ち主じゃなかったが自分が気になったのはキラキラと輝いている瞳だった。身を乗り出して街灯の光に晒されながら、眼下の川を楽しそうに見ているのだ。姿さえもおぼろげな、亡霊のような存在の女が、なにがそんなに楽しいのか、こんなきれいもなんでもない川のなにがコイツの気を惹いているのか、探究心といえばかっこうがいいが只単に興味がわいた、それだけだ。そうしてこれが俺ととの初めての出会いだった
「なんだか寒いねぇ」
隣でマフラーで鼻先まで隠し、くぐもった声を出すはむっと顔を顰めてみせる。赤い毛糸で作られた帽子の先には可愛らしい白のぽんぽんがついていて、まるで子どものようだ
「そうか?」
外套を羽織っているだけであとはいつものヴァリアーの制服を着ているだけの俺が一言、たった一言それだけ言っただけでさらに顔を顰めた。首をぷるぷると小さく振る。まるで小動物かなんかだ
「寒いよ!ここカナダだよ?!」
ぎゃあぎゃあと喚いてきたが面倒なのでそのまま知らぬふりをしていると頭を項垂れて黙ってしまった。口を尖らせてとぼとぼと歩く。本当によく表情が変わるヤツだと思う。最初に会ったときはまるで存在がおぼろげな亡霊のようだったくせに、楽しそうに笑いやがった。話していればケラケラと笑う、哀しいときにがっくりと身体全体で感情表現をする女だった。は下に流れる川を指差して「きれいにならないか見ているの」だなんて平然と言うものだから少しなんてものではなく大いに話しかけなければよかったと思った。大体、自分で行動できないで願うばかりだなんて都合が良すぎる。だがは毎日、夜の空に月が階段を昇るようにして出てくるときには落ちているゴミを拾ってから帰っていくのだ、あの石造りの寂しげな橋から身を乗り出して眼下の川をまだ綺麗にならない、まだならない、と心待ちにしている。仕事帰りに来ているらしく、よくそんな体力がこの細身にあると感心してしまう。骨に皮と憐れに思われて施されたような筋肉がついている姿で実に色気もなにもない
「ザンザスと一緒に出かけられるから楽しみにしてたのに・・・」
後ろの方で口を尖らせて俯き、愚痴を零すの姿を見ていて、その細すぎるくせに忙しなく自分の後を必死に追いかけてくる足を見て自然と歩調を緩めた。隣にが来るくらいまで速度を緩めて自分の羽織っている外套をさっと外してご機嫌斜めの隣人の肩にかけた
突然のことに思わずだろうか、足を止めてこちらをじっと、太陽の光を受けてキラキラと光るマリンブルーの如き色を讃えた双眸をこちらに向けてきた。それはいつもよりも大きくなっている気がする。自分も足を止めて数歩後ろにいるの方を見ながら声をかける
「寒いんだろう?早く歩けばホテルに着く」
それだけ言っただけだ。また足を動かすとすぐに走ってくる音がした。隣にきて自分の腕にぎゅっと引っ付いてくる。鬱陶しい、真っ先に芽生えた感情がこれだった。振り払おうとしたら色のない顔が少し朱色に染まり、かけた外套を嬉しそうに空いた手で握り締めている。ただ寒いと言ったから羽織っていた物を貸してやっただけだ。それだけでこれだけ頬を緩ませるとは思っていなかった。自然と漏れる溜息、それと同時に外気に晒されている手で軽く隣人の頭を撫でた。それだけでまた笑う。いつの間にか振り払う気さえ起きなくなった
カナダに行ったのは任務ついでにとの外出が目的だったがそれも終わり、イタリアに戻った。それから暫くしてのことだ、九代目に自分は凍らされ、眠りについた。凍らされる前に頭を過ぎったのは激しい怒りに掻き消されそうで、それでも最初に出会ったときと同じくらいにおぼろげな姿のだった
あたしはザンザスに自分がボンゴレと同盟関係にあるマフィアのボスであることを言っていない。大体、ボスと言っても彼と出会い付き合っている時はボス候補だったのだ。率いているマフィアはあの伝統あるボンゴレやキャバッローネにひけをとらないでかいマフィアだ。ボスの座を継いで真っ先にしたことは同盟であるボンゴレの九代目にザンザスのことを訊ねることだった。この橋で話しかけられたときにヴァリアーのボスであることは知っていた、だから彼がどこに属している人間かも知っていたつもりだ、そうしてあたしの考えは正しかった。彼はあたしのことを知らなかったようだけれども。当然である、父はあたしの存在をひた隠しにしていたから。亡霊との間にできた子どもだなんて知られてしまえば迫害される、気味悪がられる、そう考えてあたしを普通の子どもとして、生まれた経歴もなにもかも闇に隠して、周囲には養子と紹介して育ててくれたのだから
九代目に自分がザンザスと親しくしていたことを話した、勿論ザンザスに会いたいということも。それを告げたときの九代目の顔をあたしは忘れない、あんな苦しそうに、一気に老け込んだ顔を、忘れられない
「あなたのことは知っています、ザンザスが心の拠り所にしていたことも・・・あの子は父であり、九代目である私に向かってクーデターを起こした。だからその報いとして、ゆりかごで眠っているのです」
疲れた口調だった。それだけ言った後に「これは極秘のことなので他言しないでもらいたい」と言われてしまう。眠っている、それを聞いてまだザンザスが生きていることがわかってどこか安心した反面、ひどく会いたいと思った。どうしようもなく、眠っていてもいい、彼の顔を見たいと思った
そんなことができる筈になく、八年の月日が流れてしまった。会わせてほしい、その言葉を紡ぐ前にボンゴレの超直感によって九代目から会わせることはできないと釘を刺されてしまったからだ。それでもなんとかしようと策を講じたがどれも実を結ばなかった。いまでは淀んでいた川は美しいせせらぎと共に蘇った。父が他界する直前に母と出会ったこの場所について語ったのであたしがこの場所にくるとそこは話に聞いた澄んだ水の流れる、穏やかな流れの川なんぞではなかった。だからこそ綺麗にしてあげたいと思った。ザンザスと初めて会ったときは汚くて、ゴミが浮かんでいて魚の一匹もいなかったのにいまではこんなに星空の光を受けて輝いている。まるで天の川のようだと思う。橋を渡りきって脇にある階段を下りて金と銀に輝く水辺に近寄りしゃがみこむ。ザンザスにも見せてあげたい、あたし頑張ってこんなにもキレイにしたんだよって。思ったら熱いものが込みあげてきたのがわかったので膝に顔を埋める。なんであなたはいま、ここにいないの。あの時、さむいって言ったら自分の外套を無言で肩にかけてくれたようにいまのあたしの肩に大きくて優しい手をおいてよ
「」
名前を呼ばれて顔を勢いよくあげた。向かい側の水辺に恋焦がれて、会いたくて、でも会えなくって、そんな人が立っていた。躊躇いもなく川に足を入れてこちらに進んでくるものだから慌てて立ち上がって彼のもとへと走る。いくら流れが穏やかだと言ってもここは川であって、それに進んで反対岸に行こうだなんて危ないことこの上ないじゃないか。私は水を蹴り上げながらバシャバシャと音をたてて走っていく
「ザンザス、だめ、とまって!危ないよ、ここ結構深いんだから!」
叫びながらやっと彼に手を伸ばせるような距離に来た。目の前にいる男は無表情のまま長年、見ていなかった口を開く
「なんでお前は沈まないんだ」
あまりの唐突な言葉に呆然として走っていた足がゆるゆると遅くなっていく。そういえば全然、ザンザス進んでいない
「ここは深いんだろう。なら何故、平然とお前は俺のところまで来れるんだ」
「それは・・・」
感動の出会いをしたと思ったのは自分だけらしい。随分と痛いところを衝かれてしまった・・・まさか自分が半分は人間ではないから空に浮かぶのなんて容易いことだなどとどの口が言えるだろう。どんなに否定したところで遺伝子の中に組み込まれた母の力はあたしの中に宿っていて、だからこそたった一人で深い川にも難無く入ってキレイにすることができた
「言えないなら言ってやろうか。それはお前がラルヴァの血をひくからだ」
下を俯いた。やっと出会えたと思ったら目の前の男は自分が半分は人間じゃないことを知っている。そこまで知っているならマフィアのボスであることも知っているだろう。薄気味悪い、そう思われただろう。それでもあたしは待っていたのに、この場所でずっと待っていたのにそれに対する言葉がこんなものだとは考えたこともなかった。どうして知ってしまったの・・・
「そんなことどうして知ってしまったの・・・さぞ気味悪いでしょうね、そんな女のところにわざわざ足を運ぶこともなかったんじゃないの。なんの連絡もなくて勝手に眠っていたくせにいまご」
つらつらと出てくる言葉はザンザスがあたしをその腕に抱きこんだために言えなかった。ずっと望んでいた体温が自分を包んでいる、いままで一番、愛した人があたしを抱きしめてくれている。思ったら勝手に涙が流れてしまった
「なんにも言わなかったのは悪かった。それでも目覚めてすぐにお前のところに来た」
ぎゅっと強く、つよく抱きしめられてもうなんにもわかんない。でも起きてすぐにあたしのところに来てくれたって言葉、信じてもいいと思わせる体温に負けてしまいそう
「お前だってなんで言わなかった。ラルヴァの血が流れているくらいで嫌いになるとでも思ったか」
顔をあげる。まっすぐに見つめ返してくる赤い瞳に飲み込まれそうになる
「俺はを愛してる。がなにかなんてどうだっていいことだ」
流れる涙をそっと片手で拭われる。それでも嬉しい言葉のせいで涙はとまらなくってみっともなく泣いた。マフィアのボスになったのに情けないな、ふとボスに就任してから初めて泣いたのだと気付いた
「あたしも、ザンザスが傍にいて、愛してくれればそれでいい・・・」
言ったら屈んで唇にキスをしてくれた。キラキラと輝く星の海でザンザスの首筋に腕を回し、幸福な気分で唇同士が交わる。感じた体温は夢にまで見た人のもので、その人がちゃんとに愛の言葉を自分に伝えてくれたことがどれほど嬉しかったことか
離された唇が名残惜しくて見つめたら唐突に抱かれ、ひょいと肩に担がれてしまう。地に足がついていない状態なのでいつ落ちるか不安だし、重いだろうしいきなりなにをするんだと考えて持ち主に声をかける
「ちょっ・・・降ろして!なによ突然!」
だけれどザンザスは口の端を歪めるばかりで聞く耳を持ってくれない。上でぎゃあぎゃあ騒いでいるのにはっきりとザンザスの声があたしの耳に届いた
「もう、離してやんねぇ」
今宵、銀河の片隅で
(愛を誓い合いましょう!)
Anulare様に提出させていただきました!少しでも幸福な気持ちになってもらえたら幸いです^^
070630銀狐