大きすぎる部屋だと思う。とにかく、わたしには不釣合いなくらいに部屋が大きいのだ。自宅で一番大きい部屋のダイニングが二つか三つは入りそうな空間の中では何処にいればいいのかもわからなくて金細工の施されている椅子に、ゆったりとくつろぎながら瞳を閉じ、赤い燃え盛る炎を消している愛しい人の足元で黙って寄り添うほか、自分にできることはなかった。しん、と物音一つしない部屋がどうにも慣れなくて寄り添っていたザンザスを起こさないようにわたしなりに努力しながら静かに部屋を出た。足音を聞けば目が覚めてしまう暗殺部隊のボスは意外にも再び炎を燃やすことをしなかった。わたしの足音だからこそ目覚めなかったのではと考えて自惚れているのに気付き苦笑した

薄暗い廊下をひとり歩く。此処の高級そうな、わたしなんかが踏むことさえも躊躇われる赤いカーペットの上を申し訳ない気持ちで歩いて、辿りついていたのは中庭だった。この建物は中心に庭がある。そして噴水があり、わたしはこの穏やかで静かな場所が好きだ
もうカレンダーの紙面上では春を謳っているくせに感じる寒さは冬のものである。まったく、世界の気温がおかしくなってしまったのか。それとも去年もこんなものであったか。わたしの思い過ごしなだけであろうか。とにかく、ザンザスに買い与えられて現在、身に纏っている洋服が肩まで思い切り出ているデザインのため、既に温かい筈の外気と直に触れ合う露出した肌はその温度の低さを鮮明にわたしに訴える。さむい
ひいやりとした輝かんばかりの大理石は薄暗く重苦しい、濁った色をした大勢の雲のせいで太陽はその姿を見せることすらも許されずにただ、舞台裏で眼球を焼くのに十分な閃光を放ちながら存在しているのだろう、おかげで暖かな日差しの恩恵を地上に生きるすべての者達が受けられずにいるのだ。氷のようにつめたい大理石に腰を下ろすと薄い布越しにひゃっと声を出してしまいそうになる温度が鮮明に伝わってくる。ぶるっと身を一つ震わせてから頭上を滑るように飛ぶ小鳥を仰いだ。なんと元気に飛ぶのだろうか、あの生き物達は。美しい言葉を発して軽やかに翼を羽ばたかせて、思わず綻ぶ顔もひゅうと気まぐれな風が吹けばがらりと苦渋の表情にもなる。聞こえるのは小鳥の歌と中庭を吹き抜ける風。この静けさが好きで瞳を閉じて心地よい空間に身を委ねた
不意に。ふわりと頭になにかが落ちてきた。目の前が文字通り、真っ暗になって不覚にも情けない声を発すると目の前にいることが容易に想像できるほどの気配。この感じはザンザスだ。黒いカーテンを剥がして手で持てばすらりとしたスタイルで口を真一文字に閉ざしているのは椅子の上で眠っていた筈のザンザス。金額を聞くのも恐ろしいであろう白いシャツと黒のレザーストレートのパンツを履きこなす姿は見慣れているけれども魅入るのは仕方ない。こんなにもかっこいい人が自分なんかの前に存在していること自体おかしいのだ
「なんでこんなところに」
咎めるような視線でこちらを見てくるのでわたしは俯いて言葉を濁す
「寝てたから。起こすの悪いとおもって・・・」
「此処にいる理由を聞いた」
はっきりと。ちょっと怒っているんではなかろうかと思わせる口調にビクッとしてしまう。風は相変わらずひゅうと予想もできないタイミングで吹いてくる。ぶるっと身を震わせればザンザスは一つ、ため息をついた。やっぱり側にいればよかった。側にいて、ザンザスから離れなければこんなに怒らせることもなかったのに。それでもまだ、やっぱり高級感漂わせる場所にいると、どうしてか恐縮してしまう自分がいる。噴水の近くに植えてある一本の大きな雪柳の花びらが足元にひらっと舞ってきた
頭を垂れて足元の花びらを見ながら罪悪感を感じているとひょい。手の中にあった黒の、そうかザンザスのいつも着ているヴァリアーボスの制服だ。その羽織をそっと、紳士的な手つきでわたしの肩に掛ける。きょとんとして羽織の持ち主を見つめればふっと目を細めてわたしの瞳の近くを撫で上げる。その仕草がとても好きで、あったかい手が大好きで、思わず目を細める。圧し掛かっていた負の感情が白い花びらになり弾けたような、そんな感じ
「外は寒い。そんな薄着でこんな場所に来るな」
わかったな、問われれば撫でるのをやめない手のせいか。クスクスと嬉しさのせいで笑いながら「はあい」と返事をする。あたたかな手はわたしの頬に滑ってきて、頭上にいた小鳥はザンザスの心休まる手のように滑っている。鼓膜を振動する美しい旋律はどうやら終盤に近付いているらしい。どんどんと天高くを目指して飛んでいく

撫でる手をすっと、前に差し出され、わたしは微笑みながら愛おしい人の手に無意識のうちに自分のを重ねていた。すっと力を込められて優しく握られた手を上にあげるように力を込められて。わたしの体温で少しだけ温かくなった大理石から腰をあげる。ザンザスの手がわたしを掴んでいて、ああこれではまるで
「なんだか踊っているみたいだね」
ワルツを踊っているようだ。こんな最高のパートナーならいつまでだって踊っていたくなってしまう。口の端を上げて眼前で微笑むザンザスは美術館の絵画のように、絵になってしまう
「そうだな」
そのまま空いていた片方の手を腰にあてられて。ぐっと顔が近付いてきて。ふっくらとした唇とわたしのそれが重なった。それだけでくらくらしてしまうよ、幸せのせいで。少しの間のキスも永遠のように感じられてしまう。少しの酸欠で潤んだであろう自分の瞳を見てかちゅっと軽いキスを瞼にされてふふっと笑った。そのまま手は放されずに歩を進めて。くるり、と舞う。肩に掛けられたヴァリアーの制服がわたし達の動きに合わせてひらりと舞う。いま肩にあるザンザスの誇りとも言えるヴァリアーボスの制服が自分に掛けられたと思うとそれだけだって嬉しい。それを掛けることを許された、それがどういう意味なのかと勝手に考えて自然と笑う。目の前にいる人にいま着ている洋服も、掛けている制服も、思考さえも侵食されている。それがどうしてか嬉しいことにしか思えない。いっそ全部染めてしまってよ
「なあ、
低い声、するりと耳元に唇を近づけて不意に名前を呼ぶなんて。背筋からぞくりとしてそれだけで快感だなんて笑ってしまう
「このまま生涯、俺のパートナーをしてくれないか」
思わずわたしの足が止まる。噴水の流れる水の音も、遠くとおくに聞こえて消えそうな鳥の歌も、雪柳のざわめきも、目の前の愛する人の呼吸も止まってしまったように、この世界が止まってしまったようで

その瞬間に止まっていた世界が動き出した。ザンザスは手を下に、でもわたしの手を解放しないで。真っ直ぐに炎を宿らせて名前を呼んだ。先程、言われた言葉を思い出してどんな意味か考えて頬が赤く染まっていくのを感じた
「お前しか考えられない」
言われて解かれた手。ヅグッと痛んだ心臓。そのすぐ後にぎゅうと抱きしめられて跳ねるこころ。掻き抱くというのはこういうのなのかな。強く握られてドキドキで呼吸困難だなんて。本当にどれだけ単純なんでしょうか、わたしという人間は。でも口元は綻んだままだ。ザンザスの表情は見えないから「ねえ」と呼びかけた。少ししてから身を離されて真っ直ぐな瞳、愛する人の顔を見ることができた
「わたしもザンザスしか考えられない。ずっとずっとザンザスと一緒にいさせて欲しい」
お願い、と言うと確かに目の前の人はいままで見てきた中でも最も美しい表情で微笑んで、そうして優しく抱きしめてくれた
これからのこと、未来。それを思い考えるだけで幸福な気持ちで胸がいっぱいになる。慣れない高級な屋敷にだって生涯住んでいれば平気じゃないかなと前向きに考えて。ちっぽけな、そんな不安もこれからずっと大好きな、愛しいザンザスの側にいれるんだと思えば楽しいことになってしまうの
ざあと雪柳がざわめいて白い花びらが螺旋を描いてわたしとザンザスを覆った。すっと伸ばされた手は真っ直ぐにわたしの頬を包み込んでもう一度、優しいキスをしてくれた



未来への期待



corolla様に提出させていただきました!花言葉を使ったお題という綺麗な企画に参加させてもらえて嬉しかったです!
070319銀狐