旦那様はとてもお優しいお方だ
私のような一介の忍びにも人と同じように接してくださる。忍びの集落にて産声を上げた時から私達は主君の手足であり、手足というのは頭が命じた事をただ実行するものである
故にどんなに過酷、非道な命にも一寸の不満も、報酬も抱かない。抱いてはならない
それが忍びというもの
だから他の人から見たら私達の存在は
目を閉じてしまいたくなるような
耳を塞いでしまいたくなるような
そんなことされたって図太く笑顔を貼り付けられるくらいにならなきゃいけない
人らしさなんて求められてない、求められることもない
主君の中には忍びを人として見ない人もいる。というよりもそれが普通、なのだ
私の主君の方が可笑しいのである。他の同僚達も同じように「我らの主君は少々、変わって居られる」と口々に言う
しかしその後に皆がみな、同じ事を言うのだから笑ってしまう。そんな私も笑ってしまう者の一人なのだけど
「どこのモンだ」
目を開けたれば薄暗く黴臭い部屋。身体中が痛い。うつ伏せにされているようで外気に晒されている背中からは切られたせいで熱が生じている。おかげで思考が上手く働かない
「・・・知ってどうするの」
珍しい髪色の男を睨みつける。旦那様と対成すような色だ
男は私を無言で見下ろしている。相手が主の敵かもしれない今、愛しい名前を口にする事は出来ない。それにコイツの左手から生えている粗末な刀で私を切ったのだろう、どろりとした血が刃に絡み付いている
なによりも視線に込められた殺気は馬鹿みたいに強い!
寝ているのも何だと身体を動かそうとしたが何かに阻まれる。じゃらじゃら、何だろうかあまり聞かない音がする。ギチギチいう首をまげて身体を見てみればを鎖で雁字搦めにされていた。なんということだろうか
愕然とする私の腹に突如として与えられた衝撃。無防備だった為に受身など一切、とれなかった。込み上げてくる吐瀉物をみっともなく出すと胃液の臭いが鼻をつく。そんなこと気にした風もなく男は何度か私を蹴り飛ばす。鞠のように地面を跳ねるはねる
「口には気をつけろぉ!女だからって容赦はしねぇ!!」
あはは、何を言ってるんだ愚かな。忍びに女もなにもないのに!
「さっさとディーノ狙うように命じた野郎の名前言えっ!!!!」
ディーノ?だれそれ変な名前ですね!
「・・・だれそれ」
顔をあげる気にもならなかった。蹴られ、叩きつけられて感覚も麻痺しているようだ。それでも背中の、燃えるような熱さだけはしっかりと感じる
何を勘違いしているのか知らないけれどとんだ、勘違い
そうだ、この男のせいで主との再会を邪魔されたのだ。何が哀しくてこんな奴の相手をしなきゃならない!私はこんな薄暗い部屋で寝てる場合じゃない!主の傍で御身を守る事が私の役目なのに!!
わけもわからずこんな場所に連れてこられ、散々な目に合わされた怒りが沸々と湧きあがる。顔を上げて男を見上げた。そうすると男は困惑で顔を滲ませる。追い討ちを掛けるように視線に殺気を込めると一歩、足を後退させた
「私は、でぃーの、なんて人しらない。ただ、主を追っていただけ。それなのに・・・!」
唇を強く噛んだ。コイツさえ邪魔しなけりゃ今頃は主が「今日の朝餉はなんだい?」と訊ねてくださったのに!
男は品定めでもするように視線を寄越してくる。それは言葉に出来ないほど腹立たしいが睨み付けるだけに留めておく
「その主ってのは誰だ」
「・・・言えない。敵やもしれぬ者に主の名が言えるわけがない」
主は一国を守護する城主である。お優しいお方だ、それでも豊かな土地を狙う者は後を絶たない
主は戦を好まない、だからこそ私達が主を守るのだ。剣となり、盾となって主をお守りするのだ。ここで沈黙を通すことで死することになろうとそれは忍び、そして私の本望と言えるだろう
流れる沈黙、緊迫した空気。もし、この者が拷問にかけようとしても私は主の名を口にすることなどないだろう
覚悟など当の昔に決まっている。男が左手に括り付けた刃を向けた。私は舌を歯の間に挟む。血の味がした
『我らが主君ほど、仕えたいと思う者などいないがな』
「やめろスクアーロ!」
ほら、私は旦那様以外に仕えようなどとは思えない!
あなたを求めて死を覚悟しました