「君はこんなものなのか、スペルビ」
出会った時よりバッサリと切られてしまったショートの髪を靡かせては俺を見下ろした。片手で両手剣を息一つ乱さずに闘っている。必要最低限の動きしかせず、生死のやりとりをしているというのに俺の心中は満たされていた。息を乱し、片膝をついていたが深呼吸をし目を閉じる。獣が獲物に飛び掛る前の動作に似ているな、は俺を見て嗤いながら言った
剣術を教わったのは後にも先にもだけだろう。ヴァリアーに入隊しても彼女に俺が勝利することはなかった。どんなに修練を積もうがどれだけ人を斬ろうがこの現状がひっくり返ったことは一度も無い
「よかったな、あそこで私が止めていなければ右腕まで無くしていたかもな・・・・・」
薄く嗤いながら話題の右腕の傷に特性の薬を塗りこんでいく。これだけ深く斬られているのに塗って五日経てば完治する。この薬は本当によく効くと思う。ただ塗るときに激痛が走ることさえなければ俺もこんなに苦渋を顔に滲ませなくてもすむのだが
「う゛ぉおい、・・・・・もういい、痛い」
右腕にしか塗っていないのに肩まで燃えるような激痛が走る。翌日も任務なので早く治るためこの薬を塗ってもらった方がいいに決まっているのだがどうしてもこの痛みだけは慣れない。一体、何を調合しているのだろうか
「これくらいで情けないなスペルビ。あとは包帯を巻いておいてやる」
「・・・サンキュー」
清潔な薬箱から白い包帯が一つ取り出された。慣れた手つきでくるくると巻いていく自分よりも頭一つ半は小さいと向き合いながら見ていると時の流れを実感した
俺がまだほんのガキだったころ、生きていくために盗みも殺しもしていたころ。ついにマフィアの男に捕まって自分の命よりも大事に扱われているだろう鉛球が頭を貫通するために引き金をひかれる。そのときだった
『どうした』
以前、殺した男が身に付けていたラピスラズリの指輪よりもっと深い色をしていた。街灯の頼りない明かりの下、這い蹲って見たその姿はまるで闇に今にも飲み込まれそうだった。細い四肢は黒いスーツで覆われてはいたが、逆にそれが闇と同化しているように思えた。だが瞳だけは違った。冷たく光るラピスラズリよりも濃いそれは闇を纏って美しく見えた
『さん・・・ここいらを荒らしていた餓鬼です。すぐに片付けますんで』
『ああ、あの・・・名前は?』
頭を押さえつけられているので女の顔を見て答えるには見上げるしかなかった。街灯の下まで歩いてきた女の顔は生気がなかった。まるで血液が流れていないかのようだが不思議と嫌悪感はなかった。その白さが深い色をした双眸によく似合っていたからだ。細身の女の腰には身長にも体格にも似合わない、瞳の色と同じ装飾がされた両手剣が下がっていた
『自分の名前も言えないのか?それとも名前はないのか?』
女はしゃがんで視線を近くした。近くで見るとまるで飲み込まれそうな瑠璃色で、俺は考える前に自分の名前を名乗った
『そうか、スペルビ・スクアーロというのか。スペルビ、君はまだ生きたいか?』
生きたいか、質問されて頭が徐々にクリアになっていくのを感じた。こうやって質問されて生きたいと答え、簡単に殺される現場を俺は一度だけ見たことがある。そのことを思い出すと素直に「生きたい」というのが嫌だった。普通、本当に生かすつもりがあるのならばこんなことを聞くわけもない。黙り込んでやろうか、それとも・・・・・だが真っ直ぐに自分を見てくる双眸に俺は負けた。思えばこの時から俺はに勝てたことがない
『生きたい』
『そうか、それなら話が早いな』
そうして頭を押さえつけている男に手をどけるように言った。肌寒い夜空によく通る声だった。凛としていて、明瞭たるその声に俺はようやく息を呑むことができた
「生きるために強くならなければならない。だが常に強い者なんていやしない」
包帯を巻き終えたは静かに、そう言った。あの時と何一つ変わらない、瑠璃色の瞳で俺を真っ直ぐに見つめて。腕を伸ばして頭を撫でてくる。頭部に感じるの体温に静かに俺は瞼を閉じる。生きるために剣を教えてくれたのも、こうして愛情を注いでくれたのも、人肌が温かいことを教えてくれたのもだ
「もう稽古もやった。今日くらいは息を吐き出してみてもいいんじゃないか」
優しい手つきで撫でてくる。その手が愛おしくて仕方ない。目の前に座るを抱き寄せると撫でられていた手が止まった。変わりに血の通っていないような色をしたくせに俺よりも温かな身体が腕の中にいた。まだ痛む右手で先程まで撫でられていた手を握ってみると優しい温度を感じることができた
「・・・稽古のときに右腕を飛ばしていたかもって、言っただろ」
俯きながらぽつり、凛とした声が消えてしまいそうだと感じた。まるであの日の頼りない、今にも消えてしまいそうな街灯のようだ
「剣先が右腕に刺さった瞬間、怖かった。もし、あそこで剣を止めることができなければスペルビ、君の手を奪っていたかもしれない。それが怖い、こわいんだ。君の腕までも、きみのことまで本気で」
蒼白な顔がさらに・・・・・剣帝と闘い、勝てたのは自分の力と彼女の教えがあってのことだと思っている。ガキのころ自分を救い、そうしてこんなにも愛してくれた人がいるのに俺は強さを理解するために左腕を自分の手で斬りおとした。斬りおとしたことに後悔はない。ないつもりだった。だがある場所にあるものがない状態で彼女のもとに訪れたときにいまのような顔を。はしていた
「なぁ、手、繋ごうぜぇ」
ゆっくりと、緩やかに顔をあげるの額に口付けをした。徐々に見開かれていくラピスラズリの色をした双眸は本当に美しいと思う。額に手をあててふっと笑うは本当に愛しくて仕方ない
手を繋いでいたい
目を閉じてでも歩けるよう
企画「Rainy Drops」様と鮫へ愛を込めて
20080314銀狐