宛先がわからないのでどんどんと溜まるしかない手紙を私は自嘲の笑みを零しながら見つめた。あなたはいつだって遠くにいてこちらが声を張り裂けんばかりにして叫んだって聞こえてなんていやしないのだもの。無駄なことだわ、望むだけ。側にいるだけでいいなんていう甘くて、それでいて簡単に思えてしまう願いだっていつもの笑顔で笑い飛ばすのね。いいの、知っているから書きかけの手紙は今日も鍵をかけられて眠るだけ

叶わぬ夢に情熱なんぞ注いだところで


折角、恋人なんていう地位を得たって使いこなさなきゃ意味が無い。こんな年になってまだ、誰とも付き合ったことがなくて、唇も重ね合わせたことのない私なんかにオッドアイを持つ彼は笑顔で話しかけてきた。なんで私に声をかけてきたのかはまったくもって理解に苦しんだがなんだかんだで話が進んでて、数週間で告白された。告白なんて大層な言葉に聞こえるかもしれないけれどもただ教室で話してたら突然に「付き合ってる人とかいなそうですよねぇ」なんて。いつもの笑顔で失礼なことを言われてしまったことが多少、頭にくるところもあったのだが真実なのだから仕方なく。こんなところで虚言を放っても後に後悔するか襤褸を出すだけなので「だったらなんだよ、失礼だな骸は。そういうアンタはどうなの」と切り返せば晴れやかな笑顔で言われてしまう
「実は僕もいないんです。付き合いませんか」
実に軽い口調ではないか。私はいつもの冗談かなんかだろうと思ってあっさりと承諾の言葉をざわつく教室に掻き消されそうになりながらも生み出した。ときめきとかそんなの、ない
「いいよ、付き合っちゃおうか」
なんて笑いながら言ってしまってから気付いた。骸の目が本気だったことに。どうして気付かなかったのだろう、彼の口元はいつも通りの微笑を湛えていたが瞳だけは笑っていなかった。それが実に短い時間だったということに気付かされるのは彼の目が細められ、嬉しそうに、今度は本当に笑ってからだ
「嬉しいです、と僕は今日から恋人なんですねぇ」
微笑みながらこちらの顔を窺ってきたのですぐさま笑顔を貼り付ける。そのままの表情でなにを思案し、迷うことがあるんだろうと思い至る。そうだ、別に骸は私と仲がいいし、一緒に喋っていて楽しい。考えれば考えるほどにいままでだって十分に世の恋愛関係という名称に当てはまる男女間の行動だった気もしなくもない。友人からも「付き合ってるの」と聞かれたくらいだし別に私と骸の関係が変わるでもなし、一瞬の考察の後に今度は本当に笑ってみせた


それから彼は学校に来なくなってしまった。使用者のいない机はポツンと空間に置き去りにされてしまったようで虚しさだけが漂っている。それを感じ取りながら私は普段通りに生活をする。学校も側にいる人間も彼ら(いつも骸は犬と千種、三人でいることが多く、三人ともいない)が長いこと休んでいても誰もなにも思わないようで、だから私も敢えてなんでもないようなフリをしてみせる。今の社会なんて境界線から足を踏み外さないで生きていけばなんの支障もない。ただ動く歯車同様、働ける社会の一部ならなんだっていいのだ。それが学生であり中学生という場合で、自分が線から足を出さないための行動でもある
それでも空席が気になってしまう。なんで告白して全然時間なんて経ってないのに勝手にいなくなってしまうのだろうか、骸のやつは。そんなことを思っても登校してくることはなくってそれでは骸の家に手紙を書こうと思い至った。メールだって電話だってあるのだけれども何分、聞いていない。この時ほどに自分は何故、彼から番号もなにも聞かなかったのかと後悔をすることになった。付き合っているのだからそれくらい知っていてもいいではないかと思えた。だが相手はあの骸なのだから仕方ない、言ってしまえばそうなるのかもしれない、ぼんやりと考えてしまった



手紙を一通、書き終えてみたがどうにも、稚拙な文章だと我ながらに痛感する羽目になる。どうでもいいことが書き綴ってあって、行間を空けてみたがどう見たってこれではあまりに短い気もした。とにかく書いたのだからと面倒になって封筒に気恥ずかしいような手紙を入れ、コンビニで買った切手を貼ろうとして気が付く。そういえば彼の住所はいったい何処にあるのだろうか
そこに思い当たってしまえば封筒に入れられた文章は意味を成さなくなった。それでもいつ骸の住所がわかるとも知れない、先生に聞けば分かると思った。だが次の日、私の言葉に首を傾げて「そういえば知らない」なんて戯けたことを言い始めた。それでも私は手紙を書いておくことにした。いつか私が骸の家を突き止める日がくるかもしれないから

そんな日々が何日も過ぎて、手紙を入れているピンク色の小さく、可愛らしい箱はそれで埋められてしまった。どうして来てはくれないのだろうか、最初はくだらないことが書かれていた文章にぽつりぽつりと会いたいという感情が込められた文字が書かれていく。最初はなんだか照れくさくて、思い通りに進まなかった市販の安いシャープペンはまるで自分が書きたいことを私の意志とは反して書いているようだ。それくらいにあっさりと便箋には行間など空けることなんかなく、数枚になるようになった。どうして私の前から消えてしまったの、どうして、どうして。もしかして冗談で付き合ってくれと言ってのに本気にした女の顔も見るのも嫌になってしまいましたか。熱の込められていく手紙を書いていてふと、涙がぼろっと零れた


元気ですか、出会ってからどれくらい経って、どれくらいあなたを想ってこんな手紙を書いていると思っているんですか。私は気恥ずかしかったのに、いまではサラサラと筆が進みます。勝手すぎます、これではいくらなんでもあんまりです。私を束縛するような言葉を吐いてそのままあなたは消えてしまって、どうして私を一緒に連れて行ってくれないんですか。体を壊しているのなら看病させて、遠いところに行ってしまうなら私の手を握って。そんな願いさえも無碍にしながらもあなたを憎んで愛する自分に嫌気がさします。どうかお願い、吐息を感じさせて
そんな内容の手紙を惜しげもなくツラツラと書いていた。初めて告白をされて、その言葉に一瞬でも悩んだ人間がこんな文章を書けるのだと我ながらに感心した。そのまま力を失って、糸を切られた人形のようにガクンと力なく机にガンメンカラダイブした。もう、疲れました



「起きてください、
瞼が重すぎて自分の肩を馴れ馴れしく揺する男の声に自然と「うっさい」と一喝してそのまま意識を浮上させようとしたら耳元に熱い息を感じて、知っているようでまったく知らない男の声を聞いて。間違いない、望んでいた声だった
「おきて」
がばっと効果音でもつきそうなくらい勢いよく跳ね起きる。勿論、重すぎだった瞼はあっさりと開かれて黒とノイズだらけの世界から一変、現在では周囲にあるものがよく見えた
大きなおおきな、地上と接触をしてしまうのではと不安になるくらいの月が光悦に輝いている。なんと朧でありながらも慈愛に満ちた光を放っているのだろうか。頭上の空からは何処に付いているのかもわからぬ赤い、上品なヴェルヴェットのカーテンが夜風にひゅうと踊る。私は呆然としながら目の前でいつものように笑っている骸を見た。骸以外はみんな、なんかおかしい。こんな大きな月も空から生えているカーテンも自分の記憶に広がる世界には存在などしていない
「おはようございます」
微笑みかけてくる男を見て思わず私は口を数回、パクパクと動かした。自分が言いたい言葉が音にはなってくれない
「此処は、あなたの夢の世界であると同時に現実の世界でもあります」
普段と変わらない笑顔を貼り付けながら言われたことは理解できない。なにを言っているのだろうか、この人は
「あまり気にしなくても大丈夫です。時間がくれば元の世界に戻れますから」
「骸もそこにはいるの・・・?」
戸惑いながら目の前でニコニコと笑う男の手を、恐ろしくも待ち望んでいた物に触れるかの如く、指先を相手の手に触れさせた。そうしたら温度を感じた。生きている人間の温度で、それが自分の震える指先を溶かすくらいの温度で、なんと優しい

震えていた指先の奥にある手首を掴まれて引き寄せられた。いたい、いたいと繰り返し言いたくなるくらい強く抱きしめられて私はただ呼吸困難。なのに涙が溢れるのは何故ですか
「手紙、読ませていただきました。申し訳ないかぎりです」
謝罪の言葉がどろどろおりと液体状になっていく私の脳髄を再生させた。どうして、手紙をあなたが読んでいて、そうして謝罪を述べるのですか。私の想いを知っていて弄んだのですか、心地よかった温度も私の涙も消え去ってふつふつと怒りが込み上げてくる。私の純情をどうしてくれたんだ
「すぐに会いたかった、手紙を読んで、いますぐに抱きしめて離したくないんだと心底思い知りました。それでも」
そこで言葉がきれたので私はやむなく骸の表情を見てやるために顔を何気なく埋めさせてもらってた胸から離して上を見た。嗚呼!そのときの彼の顔ったら!



手紙を書いていたときの私とおんなじ貌じゃない!