誰かを愛することに怯えている哀れな私が震えていました。喉がカラカラに渇いて、思わず涙が零れそうになるのです。まるで心臓を抜き取られて脳味噌だけが機械的に動いているよう。もう、全部がどうだっていいわ。私がいったい何をしたというのだろうか、理解に苦しみます。膝を抱えて部屋の隅っこで涙が溢れてみっともなく流れていたら頭にひんやりとした感触があった。それでも私はそんなの知らないフリをして顔を上げずに泣きじゃくる。誰もいない暗い部屋で、今日はお月様さえもが私を見捨てた


自分の隣で色彩を映さない哀れな の頬を撫でるとぴくっと肩を動かした。それから何か言うかと思ったがなにも言わずにいる。長い睫毛のヴェールに隠された僕と同じオッドアイ。違うのは左右対称だということだけだ。六の文字が刻まれている筈の赤い瞳には「九」の文字が掘り込まれていた。潤い惹きつけるような桃色の唇とはまったくもって似つかわしくない鮮やかで形良く、いままで見てきた唇のどれよりも美しく見えるのは紫色のような肌がそれを際立たせるからだ。魂が抜けてしまったかのような は僕がどんなに言葉を投げかけてもなんの反応もしない
「今日はいい月夜ですから散歩にでも出かけませんか」
笑ってみせたがそんなことには興味などないと言った風に、いいやもしかしたら僕の声なんて届いていないのかもしれない


僕は六道輪廻をまわってきた。 もまわってきたようだけれども徹底的に違うのはその輪廻を彼女の場合、反対に回ってきたということだ。だからこそこの赤い瞳が僕と彼女の場合、左右対称になっているのかもしれない。いつだったか、今日みたいな美しい月夜にふらりと外に出て会ったのが、 だった。会ったといっても実際に会ったのはその時から少し後になる
窓辺からオッドアイの少女が無表情のまま月を呆けて見ているのはあまりに滑稽のような姿だ。だが がそれを行うとなにかの絵画のように美しい。それくらいに彼女の憂いに満ちた表情には人を惹きつける力がある
夢の中で出会った彼女の世界は混沌としていた。現実の、住んでいる部屋の筈なのに天井は刳り貫かれて上にあるのはまさに地獄絵図のような世界。床には惜しみない血の海が出来ていた。無言で膝を抱えながら隅の方で座っているので近寄ってみたら肩が震えて、微かだが嗚咽が聞こえてしまった。そんな姿を見せつけられて黙っていられるほどに僕も非常な人間ではなかったらしい。頭に手を乗せて額から後部にかけて撫でてやるが依然として泣き止まずにしゃくりあげる。どうしてそんなに哀しそうに泣いているのかなんて大方、検討はつくけれども。今いる部屋には生活感なんてお世辞にも窺えなくて、あるのはベッドと小さな山になっている洋服と靴、教科書だろうか本も積みあがっているが本棚という物もクローゼットというものも此処にはなく、小さな山となって置かれているだけだ
「顔を上げてください。僕には君の心が読めません。どうして泣いているのですか」
なるだけ優しい口調でゆっくりと問えばゆるゆると頭が持ち上がって顔をぐしゃぐしゃにした血色の悪すぎる女の顔がそこにはあった。口を数回、パクパクと動かせると掠れて乾いた声が聞こえた
「もういやなの、ぜんぶ。愛してほしいけど愛することをこわがってるから、このせかいも愛してくれない愛せない」
彼女はそれだけ言うと糸の切れた人形のようにがくんと力なく首を垂れてしまう。虚ろな瞳が僕を捉える。それが輪廻をまわった人間のものだと確信するには時間はかからない
「どうして愛することを怖がるのですか」
「きらわれるのもうやだ。みんなこわがるだけだもの、わたしのことを」
「そうですか」
言いようがなかった。自分だって生きてきた記憶で周囲の人間が恐れてきたことなんて数知れないほどにあった。その度に誰がこんな風に自分をしてしまったのだろうと悩んだし、こんな世界なんぞ血の海にしてしまった方がいいと今だって思っている。病的なまでに痩せていて、肌の血色も悪すぎる彼女のことを人事だとは思えなくてこの口は自然と言葉を紡いだ
「それじゃあ、僕のところに来ませんか。僕の名前は六道骸といいます」
「・・・
「いい名前ですね、それでは行きましょう」
言って手を出せば無言で、かなり遅めだったが手を掴んだ。きゅっと握る手すらも弱々しい力で思わず僕は柄にもなく不安に駆られてしまった