随分と長い間、凶作が続いた。大人達は次第に己が食物のために最初に生んだ子を残し、あとは山に捨ててくることが多くなった。山には夜、野生の獣達が幼子の空腹のためか暗闇に対しての不安のせいか。甲高い声を発して泣くので獣はそれを合図に滴る涎を気にかけることなく側に寄ってくるのだ。そうして人を食って肥えた獣を捨てた大人が捕らえて喰う。まさに画期的な、自分達が生き残るための方法だ。まだ幾つも年をとっていないわたしだがそれくらいのことは理解できる。わたしの住んでいるこの家も凶作続きでなにも食べる物が無くなってきた。水を飲んで腹を満たそうにも水分さえあまりにもないのでそれもできずにただ、眠るのだ。眠って動かなければ腹をこれ以上、減らすこともない。ただ、瞼の奥底に眠る黄金の稲が田一面に広がっているのを見ることができる。それがとても幸福なことであり、わたしのように枯れ果てた畑に残り少ない種と希望を撒き、ここよりもまだ作物のある村に食料を分けてもらいにひとりで歩いていこうとそれを行わなくたって確実に長女は山に捨てられることはないのだ
どんなに働いてもこの家は裕福になることはなかった。目を開けていようと空腹のあまりに頭が回らないで床に伏せているわたしをひょいと誰かが起こして背中におぶった。背骨が浮き出ている。こんなにも骨が出ている背中だったか父さんの背中は
「おや、起きちまったか」
疲れ果て、震える声で父さんはわたしに話しかける。もうひとり、誰かいると思ってよく見れば髪が潤いをなくして目のまわりに皺が増えてしまった母さんの顔だった
「たまには外に散歩に出かけよう。父さんと母さんとで散歩なんてどれだけ久しぶりかなあ」
のんびりとした、それでいて疲れている声だった。母さんの目を見てみれば何も写し出していない目だった。どん底の闇とはこういった色なのだろうか。くう、腹が小さく鳴った。ぶらぶらと足は揺れて、父さんあたし重くなったかしら。大丈夫、無理しないで御山にならあたしひとりでだって行けるのよ
「三人でお散歩、とっても久しぶりだね」
最後の散歩が御山にわたしを獣の餌にするものだなんて笑えてしまう。だけれど恨むことなんて絶対にしないからそんなに処刑台に向かうような顔をしないで
「御山にはおいしいものがあるかもしんねえからな。散歩がてらなにか採って帰ろうか。の好きな果物が生ってるかもしんねえな」
父さん、あんまり無理しないでいいよ。はいままでこんなに大きくなるまで育ててもらえて幸せでした。どんなに家が貧しくても飢餓に苦しむことになっても林檎も柿も食べさせてもらえました。父さんがいま、こうして何年ぶりだかわたしをおぶって歩いてくれている。それだけでわたしの心は御山にあるお池みたいにとっても静かになるんです
父さんと母さんはわたしを木の側に置いてくだすった。おいしい果物を採ってくるからここで良い子にして待っているんだよ。すぐに戻ってくるから安心なさいね。うん、わかった(おうちに帰ったりしないから安心してね。ばいばい)
陽が沈んで鳥は囀るのをやめた。わたしも呼吸をするのに疲れたし頭はぼおやりしていて、いま最高に幸せな気分です。こんなにもお腹が空いていては腹も鳴らずになんとも言えない感覚に陥っているのです。静かなこの山にわたしの断末魔が響くと考えればそれは幸せに思えます。一瞬でもわたしがこの山を制するのです、音というものによって
がさがさ、と音がした。獣だろうか。ああ、もう疲れているの早くわたしを食べるのなら食べてしまいなさい。そしてわたしの家族の身となってくださればもう、はそれだけで十分なのです
「おや、まだ息があるみたいですねえ」
すっとしゃがみこむ音がしてぼんやりと霞む目で前のなにかを直視しようと自分を叱咤してどうにか、みることができた
「たぬきさんが化けているの」
目の前の人はとても綺麗なお顔をしていて、右目に六という風に刻み込まれている。とても端整なお顔。こんな綺麗な人が人なわけがないじゃないの。何処に行ってもみんな、疲れやつれた顔をしているもの。こんな潤った肌で、生き生きとした目をしている人なんか、いないもの
「・・・クフフフ。君はおもしろいことを言いますね。化け物と言われたことは多々ありますが狸とは・・・・・」
男の人の声で目の前の人かどうかわからないそれは笑った。笑ってからわたしをじいと見てくるのでその場にいるのがいやになる。あんなに静かな御山だったのにどうしてくれるんだ。死ぬ前に見るのが人か狸かわからないものとは笑ってくださいな
「決めました。君の名前はなんというのですか」
「」
「というのですか。いい名前ですね。僕の名前は六道骸といいます」
さあ、言って骸と名乗ったそれはわたしの前に手を出してくる。どうしたらいいのか分からなくてじっとそれを見ていたら「ああ」と勝手に納得するような声を出してクフフとまた笑った
「動けないほどに衰弱しているのですか。これは失礼」
それだけ言って骸と名乗ったそれはわたしの身体を軽々と両腕で持ち上げた。背中には骨も浮き出ていないし、しっかりと肉もついている。急に浮いた身体に呆然と持ち主を見つめれば霞んだ目に最後、映ったのは骸と名乗ったそれの痛ましいほどに淋しい笑顔だった