しん、物音はしないように思われる。だってこんな真夜中だもの、当たり前よね、一人こころの中で呟いて何枚も重ねてある毛布にぎゅうと押し潰されながらも、もぞもぞと身動きする。だけれどもカーテンが邪魔をせずに開いているものだから差し込んでくる月明かりはわたしの頭上にキラキラと輝いて白い枕も毛布も全部、うっすらとした水色で染め上げてしまう。瞼を閉じているのに輝く極上の満月が頭上に存在しているのがいやでも、わかってしまう。閉じられている筈の瞼の裏にはくっきりとではないけれど、ぼおやり白い明かりが見えるのでそれが気になって、いやそれだけではなく何故だか、わたしは眠れずにぐずぐずと限られた睡眠時間を自分から削っていた。右のこめかみが、いたい
「ねむれないいいっ・・・!」
眠りたいのに眠れないそのじれったさにイライラとして兎がぴょんと跳ねて地面を蹴り上げる瞬間に砂埃の発生するふわっとした、いいやそんなものではなく、馬が蹄で地面を蹴り上げると言う方が適格か、とにもかくにも上体を勢いよく起こして小さく「もう!」とイライラとした感情を込めて発した言葉は静まり返った室内に吸収された
わたしの体温を受けたシーツも足元の毛布も温くてそこから出ることを躊躇わせるものがあったがそこからひょいと降りてどこから湧きあがったかもわからない、誰もこんな時間に起きていない、という確かな勇気で寝巻きとも言えないような、黒のキャミソールにこれまた黒のパンツ、しかもノーブラという格好でぺたりと地面に足をつければ冷えている外気にぶるりと、誇張ではなく身体が一つ震えてしまった。石畳の部屋なので床も当然の如く石で出来ており、これがまたよく冷えてくれていて背筋にぞくり、くるものがある
だけれども足は歩を緩めはしなかった。冷たいドアノブを握り、も一つぶるりとしてから廊下に出る。まあ、要するに。皆が疲れ果てて深い眠りの国へ旅立っているこんな時間にわたしはどうしても寝付けないので仕方なくふらりと、とりあえず服を着るのもめんどうで、ええい、どうせそんなに長い間こんな寒い廊下をふらふらしないであろう、こんな時間に誰も起きてなんぞいやしないさ、と根拠も何もないのに決めつけてみっともない格好でふらりと歩く。それがいけなかった
「・・・?」
突然に自分の名前を呼ばれ、深い森深くに存在する湖の安定して波紋もなにもない水面にぶわっと振動、水面が、ぐわあぐわあと叫び声をあげてぶるぶると鳥肌をたてるが如くに、胸がドキドキなんていうものじゃあなくバクバクしちゃって、こめかみは痛いしで回っていなかった脳味噌が引っぱたかれたような感覚に陥る。心臓は煩いくらいの早鐘を打っていて、喉が少し渇いた
「やっぱりか。なんだその格好は」
よく知っている声が真後ろからして先程、聞こえた場所からずいぶんと接近してきてた神田がいた。向き直ったときに見た神田はわたしのようなみっともない格好でなく団服で、顔には疲れたと書かれてもいいような疲労が浮かんでいてさらには眉間の皺も一本か二本、増えている
「あ」
そういえば神田はなんと言ったか。なんだその格好と言った、確かに、そう、言ったのだ。わたしの格好といえば根拠のない自信から出た錆でノーブラ、下はパンツというどうしようもなく恥かしく、女としてどうだそれはという、もう言葉にならないくらいに、ああもうわたしよ恥を知れ、というものでその場にいるのがひどく莫迦でどうしようもなく阿呆のような、ああむず痒くてとにかく恥かしくって耳も顔も火照ってひいやりというよりはひゃっと声を出すような寒さなのにわたしはその場で風を切って走り出した
走り出したつもりだった。それだのに振り遅れた手はがしりと神田に掴まれてしまっている。なんという、行動に出るのだ、この男は。頭が機能を果たしてくれずにただ狼狽するわたしと対照的にいま、わたしの手を掴んでいる男は窓からの月光を受けて持ち前の黒髪をきらりと輝かせいている
「来い」
それだけを言えば即座に手を引かれて何処に連れて行かれるのか、とりあえず寒いので自然とくしゃみがくしゅん、と一つ出た。くしゃみを出すときにわたしなりに女っぽくしようと心がけたのが幸いしたのか、それともそんなことをせずとも結果は変わらなかったかもしれないが空いている、わたしを掴んでいない手で自分の肩で羽織る団服をわたしに羽織らせた。呆然と、男を見るがとくに何も言わずに黙々と手を繋いでわたしをどこか連れて行く。こんな格好を見られて恥かしいのだが羽織らされた団服に微か残る神田の体温に胸は期待と喜びで少しずつだけれども満たされていくのを感じる
睡眠薬はあなた