ガキは嫌いだ。面倒なことも嫌いだ。努力なんか大嫌いだ
私は宙ぶらりんで楽に生きて生涯を終えると決めているんだから





大学に通って三年目のは今年で二十歳という境界線から足を踏み出す。周囲の大人から見ればまだまだ若い、と見えて当たり前の歳。しかし本人は真剣に「もう二十歳になってしまった」と考えている
曰く「十代ならやんちゃも目をつぶってもらえるが二十代はいけない、あれはやんちゃいけないよ」と豪語している。あと数年で社会に従属しなければならない。無知と若さを武器に好き勝手できる歳は過ぎたのだ
本人が言う、やんちゃも出来なくなったいま、気が付けば呆然としながらも確実に、雪に埋もれている


「これ絶対、地獄行きになった」


激しい吹雪と見渡すかぎりの雪原の中心で横たわるは誰に言うわけでも呟く。動く気にはなかった

彼女が気付いた時、既に全身が雪に埋もれていた。勿論、もはや感覚などない。指先に力を込めても瞼が凍ってしまったのか開かないので確認は出来なかった
せめてもの救いは寒さに震えて苦しむほど、神経が働いていないことだけだ
ただ漠然と吹き荒れる風の音を当事者だというのに彼女は無関心に聞く

これは凍死というやつか、しかし道路で引かれた筈が何故に雪?との脳内では疑問が巡る
その最中ザク、雪を踏み締める音が聞こえた。吹雪く音に紛れながらも確かにそれは彼女が横たわる場所へと向かって来ている
こんな場所にも人が…思って目を開こうにも瞼が凍ってそれは叶わない。というよりそのような余力など体温と共に消えていた
次第に吹雪く風も向かってくる足音もどうでもよくなってきた。何故ってとにかく彼女に体力など露ほども残っていないのだから
体力を雪に吸われた彼女は意識を放った。考えることも億劫になるほどに疲れていたのだ






身体が浮いている、というのはこんなにも開放的なんだ、と彼女は感じた…の身体は揺らめく水、というよりは海の中にあるようだ。浮遊感覚は羊水を本能的に思い出させどことなく心地よい

「そっか、人は死んだらこーいう所に来るんだ」
口と舌を動かしてみる。だが言葉が音になることはなかった。ふわふわと浮かびながらも口を動かしてみるがやはり、声は出ない。しかし彼女は動揺することもなかった。どこかで死んだという認識があるようである
なにより海の中にいる筈なのに呼吸が地上にいる時のように行われているのだ。別段、声が出ないくらいどうでもいいことのようにさえ感じ始めていた



「その頭は本当に変わらんな」

瞬きもしていないのに気付けば男が悠然と立ち尽くしていた。男の髪は海と同化したように美しい色をしていた。上から降り注いでくる陽光を受け煌く青には息を飲む。肌は地上に出たこともないように白く、だがそれは不思議なほどに気味悪いものではなかった。むしろその白い肌は切れ長の赤い瞳を強調していた。長い睫毛で縁取られた双眸、整った顔立ち
直感的に彼女は男が人間ではないような気がした
それほどに男は美しかった。思考するよりも前に魅入っていた

「…私は死後の世界の案内人だ。お前、は今晩、交通事故によって死亡。よって私がその魂、回収に来た」

淡々とした、感情を含まない口調に自分は死んだ、という通告を受けても混乱することは無かった。しかし自然と目は大きく見開かれている。音を生み出せるなら息を飲むのが聞こえただろう
男は無表情、瞳からその内を読み取ることは到底不可能であった。彼女は死後の案内人、と名乗る男が纏う空気に心臓を一つ跳ねさせる。だが危険とは思わなかった


「本来、お前は再度地獄に落ちる予定だった。死期も少し後のはずだったんだ」

そこで案内人はと視線を合わせてきた
さすがの彼女も慌てた。男と視線が合わさったことにではない。再度地獄行きと言われたことに、である。再度、ということは以前にも地獄行きになっているということだ
しかも自分は交通事故に合わなくとも少しすれば死んでいたらしい。しかも、地獄行き


「交通事故にあうのは子どもの筈だった。お前が助ける、という流れはなかった。あそこで見殺しにするだろうと誰もが思っていた。そうなるだろうと予測して私は地獄行きの途を作っていた」
しかし、言いながら案内人はに向かって長い脚を進ませる

「事態が変わった。お前の起こした行動でな。上は地獄行きを変更すると決定した」
淡々と話す案内人は目の前まで来ると浮いてる彼女の額に温度を持たない手を充ててきた
突然の行動、そして決定に意見をすることは叶わなかった。抗議をしたくとも声は出せない。ならば態度で、と思っても指先はピクリと動かない

「とりあえず浄化の途を作る間はそっちの世界で生き残れ。まあ…元の魂はいいし肉体もこちらで改良した。そう簡単には死なんだろう」
身体が上に引っ張られる感覚がしたと思えば意識が徐々に霞みだす。説明不足だ!彼女は口を必死に動かしてみるがやはり、声にはならない


「御武運を…」

案内人は眉を下げ、まるで、いまにも泣き出しそうな顔をした。彼女は口を開閉することをやめた なにか言うことも出来なかった。ただ、海と同じ色の髪を撫でてやりたいと心底、思った
自分の顔がどうなっているかなどはわからなかった
ただ意識を完全に手放す前に男はうっすらと、本当に気付かないくらいであったが口角をあげたのだ