寒い日である。おまけに風も強い日である。月が、昇ってきた
佐助は彼女が自分を呼ぶ声をこのまま、ずっと聞いていられたらどれだけ幸せだろうかと胸中、嘆くしかなかった

どうか俺の傍にいてくれ

幼子のような我侭を言ってるのは知ってるから


甦る断末魔、火薬と血の臭いだけが自分をここまで追い詰めたわけではない
人を欺き人を殺して人に化けてみるのが忍の仕事だから
ずっと殺めることをしなければあの声も臭いも自分を苦しめないのかもしれない
でもそれは出来ないんだ。だって俺様は戦忍でそれは殺めることに繋がるんだから
この生業を怨んでいるわけじゃない。怨んだことはあるけれど
そうじゃないんだ、いつ自分が彼女を傷つけてしまうのかわからないのが怨めしいんだ
いつだっては俺様の傍でこの発作をどうにかしようと抱きしめてくれるものだから
背中に回す手がいつ、柔らかな身体を突き刺してしまうか怖くて仕方ないんだ。それが怨めしいんだ
ある時はその背後に敵が見えた。またある時は引き金を引く音が聞こえた

最低だったのは彼女の背が敵の忍に見えてしまったことだった


もうだめだと思った。彼女のもとを離れるしかないと思った。離れたら俺様の人生はつまらない終幕を向かえるんだと確信した
いっそ蝕まれた身体で脳裏に焼きついた場所へと向かおうかと思った。表情が消えるのを感じた
そうして尚も引き止める彼女の頬を
自分の方が泣きそうになりながらどうして

打った

病んでいる。いますぐにでも戦場に戻りたくて仕方なかった。さいていだ

「もう構うな」

それだけ言って消えてしまうつもりだったのに。なんでアンタはそんなに真っ直ぐに俺様を見てくるのかなあ
やめてくれよ、その身体をいますぐにでも抱きしめてしまうだろう
言ってしまいたくなる。幼子のような我侭を言ってしまえば彼女はどうするのだろう
やっぱいまみたいに真っ直ぐに俺様を見て、そうして了承の言葉を口にするんだろうな
だから、アンタが何も言えないようにしてやろうと決めたのだ。そうすることが、いいと思った

そうして俺は名もない山の中で声も出さずに涙を流す





月が大分、高くに昇っていた。彼女の呼び声は聞こえないが未だそこにいることを佐助は知っていた
「どうしろと言うの」
彼女が震えているのが寒さからか、それとも他のことからなのかまでは佐助も知らなかった
「どうすれば私はあなたの傍にいることを許されるの」
彼女を抱きしめたくて仕方なかった。彼はそれほどに深く、そして苦しいほどに彼女を愛していた。焦がれていた
それでもそうしないのは彼女の纏う白単衣が自分の犯した愚行を明白に示すからだ

「佐助が何も言ってくれなきゃ私もなにも言えないよ」
それでも返事は返ってこない。それを聡明な彼女は知っているからそのまま続けるのだ
「私がこれを着てきたのは私の覚悟をあなたに知ってもらうためよ」
風が二人の間を吹きぬける。春が近いというのにどうにも今日は、寒い
「私はあなたを愛してるわ。ねえ、それっていけないことなのかしら。私達、もう十分待ったわ」
なにを待ったか。それを明確にしないまま彼女は言葉を一度、切った
「あなたがいなくなっちゃったら、そんなのってない。ねえ、わたし信じていいの?佐助も私を愛してくれてたって」


佐助はの目の前に音もなく、そして前触れもなく降り立ったというのに
彼女はそれに対して何を言うこともなかった。ただ微笑んで彼の涙を冷たくなった指で拭うのだ
二人の間に言葉はなかった。ただ、佐助は冷え切った身体を掻き抱くのだ。そうして彼女も
お互いがお互いの温度に苦笑しながらも背中にまわす手が放れることはなかった







翌日、彼女は橙色の着物を纏った